子どもの貧困って何だろう
子どもの貧困が社会問題として取り上げられるようになって、約10年たちました。地域では、「本当にそんな子がいるのか?」等の疑問の声も少なくありません。実際はどうなのでしょうか。子どもの貧困について、ひも解いてみましょう。
ウイキペディアで子どもの貧困について調べると、「その国の貧困線(等価可処分所得の中央値の50%)以下の所得で暮らす相対的貧困の17歳以下の子どもの存在及び生活状況を言う。」と出てきます。経済的貧困についての言及ですが、日本の場合約122万円程度で位している子どもや子どもの生活状況のことを言います。
一方で、経済的な貧困だけが、貧困の状態なのか?という疑問がわいてきます。例えば、都心の10万円と、地方での10万円では、使用できる貨幣価値が違います。食品の購入では、地方は安く買えるし、住宅費も抑えられます。しかし、全国共通のもの、例えば、車両代金はどこで買っても変わりません。お金だけでは、貧困であるかどうかの判断がつきにくいと言えます。
テレビや新聞で盛んに報道されているのは、食事をすることができない子どもやその生活状況です。これは、絶対的貧困と言います。ユニセフでは、「極度の、あるいは絶対的な貧困とは、生きていくうえで最低限必要な食料さえ確保できず、尊厳ある社会生活を営むことが困難な状態を指します。」と、言っています。皆さんは、こんな子どもたちだけを想像していませんか?戦後の日本の姿を想像して、今は貧困ではないと言っていませんか?
もちろん、経済的な貧困や虐待されている子どもたちの存在は、とても緊急支援が必要な案件です。しかし、今の日本社会で問題視されているのは、「子どもの相対的貧困」です。
お金があっても、一人ぼっちで、あるいは子どもだけで過ごしている子ども。お金を置いて行かれ、自分でパンを買って食べていて、栄養バランスのとれた食事は一日の中で給食しかない子ども。今日学校であったこと、苦しかったこと、つらかったことだけでなく、楽しかったことすら家族に話せない子ども。夏休みやクリスマスなどの、楽しい思い出がない子ども。赤ちゃんが生まれると、お母さんと赤ちゃんの世話をするため、学校に行けない子ども。一週間のうちで、5日も6日も習い事をして、休む時間も家族と過ごす時間もない子ども。ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・センは、貧困を「潜在能力を実現する権利の剥奪」と定義しました。子どもが健康的に育つために必要な、家族と共に過ごす時間や、経験や体験が乏しく、社会的に孤立したまま大きくなる子どもたちがたくさんいます。
「今の子は、かわいそうだな」と、思ったことはありませんか?子ども同士で、自由に、安全に遊ぶ場所もない。声をかけてくれる、近所のおじちゃんやおばちゃんもいない。家が散らかるからといった理由で、家の鍵を持たされていない子どももいます。お父さんやお母さんが朝ご飯を食べる習慣がないからと、朝ご飯を食べないで学校に来る子どもたちが増えてきています。そろそろ、お気づきですね。社会の状況やそれに伴う大人の生活習慣が、子どもたちの成長のしわ寄せになっています。そして、カギを持たさない、朝食を与えない大人の行動は、虐待にあたります。
こども食堂を始めるにあたり、私たちが考えた子供の貧困とは、社会的、経済的、身体的、心理的に、健康的な育成が阻害されている状況をさそうと決めました。そうなると、現代の大半の子どもたちが対象なのでは?と思うに至り、すべての子どもを対象として子ども食堂を始めることにしました。
活動の中で見た様々なケース
実際に子どもたちとかかわってみて、子どもたちを取り巻く環境には様々なことが絡んでいました。お父さん、お母さんが忙しく、待たされる子ども。自由奔放に遊ぶ場所、チャンスがない子ども。ひとり親家庭の増加や、孤立する家族の中で過ごす子どもの存在がありました。子どもの暮らしのベースには、世界的な気候変動や、災害、社会経済の落ち込みがあります。自分が「生かされる」ことのない子ども、愛情を確認することができない子どもは、深いところでいっぱい傷ついていました。これに加えて、コロナ禍がやってきました。勉強とお手伝い以外のことをすると、叱られる子どもたち。この全てが、「子どもの貧困」だと思いました。
「世話は親がすればいい」そうなの?
「親がちゃんとしていれば、こんな子どもはいない」「今の親は、だらしない」。そうおっしゃる方も少なくありません。しかし、そうなのでしょうか?社会全体の軋轢に耐える家庭の姿を見てください。
西暦2000年前後から、専業主婦世帯と共働き世帯数は、逆転をしてきました。今では、ほとんどの家庭が共働き世帯です。
一方で、1985年まで一気に駆け上った消費者物価指数は、その後も緩やかに上昇を続けています。2008年のリーマンショックで多くの方が職を失い、一方で、給与所得が増えていない状況があります。そこへコロナ禍のため、完全失業者数が増加しました。つまり、働いても働いても楽にならない、子育て世帯の姿があります。
必死で働いても、心も体も休まらない親の姿を、子どもたちはどんな気持ちで見ているでしょうか。言いたいことも言えない、欲しいものも欲しいと言えない、遊びに連れて行ってほしくても言えない。
中には、心と体を病んでしまった親御さんもいます。自分に障がいがあるのに、気づいていない親御さんもいます。孤立している家もあります。
こんな家庭を、責められるでしょうか?
こども食堂の役割と結果・効果
地域で子ども食堂を続けるうち、危うい子どもたち及びその家庭は、公民館、学校、スクールソーシャルワーカー、児童相談所へとつながっていきました。児童相談所案件の子どもは、地域の民生委員・児童委員が見守りをしてくれるようになりました。
2年くらいたつと、「そういえば、けんかしている子どもがいないね」とスタッフの口から出るようになり、子どもたちが落ち着いてきて驚くようになりました。一方で、新しく来場した子どものうち、問題を抱えている子どもが逆に目立つようになるため、対処がしやすくもなりました。 また、課題を抱える家庭について、地域の大人同士が情報交換をあっという間にできるようになって、包括的支援に結びつくようになりました。地域で子ども食堂は、子どもの見守り機能をしっかり果たす存在となったのです。
ではどう考える?
子どもたちへ、よりよいことをしてあげたい。見て見ぬふりはできない。そう考える大人の人が、地域には必ずいます。「でも、おせっかいなんじゃないか」「迷惑なんじゃないか」、そう思う方もいらっしゃいます。その後懸念は不要、ということを説明できれば…と思います。
・まず私たち、大人がしないといけないこと
まず、私たちが考えておかないといけないことが、いくつかあります。それは、目の前の課題に翻弄されるのではなく、少し予想をもって心構えを持っておく必要があるからです。
地球環境はどうなるのか?
経済はどういう方向に向かうのか?
地球環境の悪化は、私たちの生活へのダメージを大きくしてきました。台風は大型化し、都心部の長時間滞在する形へ変化してきました。私たちは、命の安全を担保するための準備行動を強いられるようになりました。
それに伴い、例えば農産物の収穫が激減する、経済に与えるマイナスの影響も大きなものがあります。また、新型コロナウイルス感染症の影響、外国の紛争も、私たちの暮らしに大きな影響を与えるようになったことは、知られることです。
大人の働き方は、どうなるのか?
子どもの暮らしはどうなるのか?
そうなると、私たち大人の働き方、子どもたちの暮らしも大きな影響を受けることになります。身体的な安全だけでなく、心の安定を考えていかないといけません。子どもはすぐに成長し、社会人となって活動するようになります。その影響も考える必要があります。今現在起こっていることは、近未来へつながることでもあります。
地域はどうなるのか?
子どもたちが暮らしているのは、地域です。2025年問題と言われる課題が地域では大きな課題となっており、中でも認知症になる方々の人数増加が予想されています。超高齢化社会の地域で、大人の働き方、子どもの暮らし方は、大きく変化をしていきます。
私たちは、何を目指すのか?
こうした激流の中にありながら、自分たちが何を大切にしたいのか、それをふと自覚したり、知っておりたりすることが大事だと思います。以下では、そうしたことを考えるためのフックになるようなことを、お話ししたいともいます。
安心のいかだを作る
アメリカ国立研究機関CDE(Center for Disease Control:疾病予防管理センター)では、かつてACE研究(Adverse Childhood Experience)いう「逆境的な子ども時代の体験」についての研究が行われました。
その中で、子ども時代の様々な逆境的体験が、その後の社会性の発達や、情緒面・認知面の発達、行動や社会適応、身体健康や寿命にも悪影響を及ぼす可能性が高いということがわかりました。つまり、豊かな子ども時代を送るかで、大人になった時の心身の健康リスクを避けることができるということでもあります。
しかし、虐待を受けて育ったら、終わりなのか?ということではありません。「子ども時代に安心できる大人がいた」という記憶は、そののちの健康的な生活へ改善されるきっかけになったこともわかりました。子どもたちの「安心のいかだを作る」ことが、とても大事だと思います。
文化の醸成をする
アメリカは多民族国家です。1960年代半ばから、学習格差を是正するため、ヘッドスタート計画が始まりました。ヘッドスタートは、頭をそろえて小学校生活を始める、そうしたイメージです。学習が思うようにいかないと、収入が低くなり、社会としても犯罪に結びつくリスクも大きいということを考えたようでした。家庭環境の影響で十分な就学前教育が期待できない子どもたちに対し、情緒的、社会的な、あるいは健康や栄養、そして心理学的なニーズに応えるようとするプログラムを提供することで、その貧困を埋め合わせしようとする目的に沿うものとして着想されたそうです。5歳の入学時で能力的な格差を埋めれば、小学校以降の学習能力の差異が埋められるはず…。しかし、実際はそうではありませんでした。
原因を調べたところ、家庭の文化が大きく影響していることがわかりました。してはいけないことをただ「ダメ」と言って叱責するのではなく、なぜいけないのか、どうしていけないのかの説明を行い、理由を理解させて定着させる文化がある家庭の子どもたちは、成績が伸びていくということがわかってきました。基本的な生活習慣が身につくことも含め、子どもを取り巻く文化を醸成することは、大事なことです。
愛情は「安全基地」
イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィが提唱する愛着(アタッチメント)を、子どもの心に育てることは、子ども時代から将来にかけて、安定した社会生活を営むうえでとても重要と言われています。自分の中に愛着が育てられている子どもは、自立心、思いやりの感覚、助けになってあげられるという感覚を持つと言われています。一方、自分と同じ思考や感情、また自分とは違う思考や感情があることを学ぶこともできるそうです。周囲の人々と「同調」し、自己認識や共感、衝動の抑制、自発性を発達させることができ、より広い範囲な社会的文化の有用な成員になれると言われています。
子ども食堂を始めた方々が、まず最初に感じる課題は、これではないでしょうか?
「テメー、キサマ、シネ、コロス」。こんな言葉を繰り返し、喧嘩ばかりしている。友達もいない。こんな子どもたちは、とても心配です。社会人の方でも、愛着の欠如が想像される方もいます。
こんなに精神的な安定がもたらされる愛着であれば、持続的なものの方がいい。先に子ども時代に安心できる大人の存在を、いかだに例えました。より安定した愛着、「沈まないいかだ」と作ろうと思います。
一人ひとりが種になる
アメリカではじめてできたトラウマ研究所の所長である、ベッセル・ヴァン・デア・コークが書いた本の中に、以下の文章があります。(『身体はトラウマを記憶する脳・心・体のつながりと回復のための手法』2016)。
子どものころに養育者から残忍な仕打ちを受けていた患者は、誰といても安全だと思えないことが多い。私はよく患者に、児童期にいっしょにいて安心できた人を挙げてみるように言う。多くの患者は、これまでにただ一人だけ気づかいを示してくれた教師や隣人、店の人、コーチ、あるいは聖職者の記憶を、しっかりと持っている。そしてしばしば、物事にもう一度携わるための種(たね)となる。
人生を過ごす中で、被虐待経験や、心身の障害などの理由で、何らかの社会的支援を必要とする時があるかもしれません。私たち一人一人が種になることで、人生をやり直し、しなやかな心レジリエンスを持ってくれればと思います。
地域でやる
とはいえ、自分の行動は望まれないおせっかいなのでは?と思われる方がいらっしゃるかもしれません。この表は、平成26年に内閣府が行った「子育てする人にとっての地域の支えの重要性」を示したグラフです。男女問わず、すべての年齢階層において、約9割の方が、子どもは社会全体で育てるものという調査結果が出ています。みなさんのお節介は、望まれているものなのです。
こども食堂なら
これまで、子どもの成長にとって、必要とされている大切なことを述べてきました。子ども食堂・子どもの居場所を作ることは、このすべてを網羅することができる可能性があります。
地域では、たくさんの活動が行われていますが、実は互いにどんな活動をしているのか、よくわかっていないことが多いです。しかし、子ども食堂を始めてみると、①子どもに注目する複数の団体や大人が増えることで、②団体や大人同士が情報交換し、連携しあうチャンスが生まれ、そのことで③互いを理解しあう地域社会づくりにもつながります。日本人は、同じ釜の飯を食うことで、互いを理解し、心を通わせるという風習を持ちます。日本人にとって「場づくり」をすることは、互いのつながりを確認し、理解をしあうことにつながります。子どもでなかった大人は、一人もいません。
子どもを真ん中に据えた場づくりをすることで、子どもだけでなく、高齢者、障がい者などを含めた地域の人たちがつながりを持ち、安心安全な地域社会づくりにもつながっていきます。
ぜひ、ご自分の地域で子ども食堂を始めてみてほしいと思います。私たちがバックアップしていきます。